社会主義国ラオスの今

 

不発弾処理

第二次インドシナ戦争=ベトナム戦争では、ベトナムに落とされた爆弾よりラオスに落とされた爆弾(2,000万トン)の方が多く、今も不発弾、クラスター爆弾の子爆弾、地雷の処理が続いているという。右写真はクラスター爆弾の残骸である。大きな爆弾の中に子爆弾が300個くらい詰まっていて、四方八方に散らばり爆発する。ベトナムとの国境一帯の森林にはまだ未処理の不発弾が埋まっているという。

今、ラオス人は、爆弾の残骸を利用してブレスレット・スプーン・アクセサリーを製作/販売している。ビエンチャンやルアルパバーンではNight Marketが立つが、刺繍の小物などに交じって爆弾の残骸を利用したアクセサリーの店が出ていた。

自分たちにとって大きな困りごとをこうした形で先進国の観光客に知らせ、自分たち開発途上国の現実を理解させる取組は意味があると感じた。

初等教育学校

ビエンチャンでは、初等教育学校を見学した。日本人の男性と結婚しているKawamuraさんが開設した学校で、学校経営について日本で学んだということだった。手洗い場、下駄箱、学校給食施設など日本で見かける設備が整備されていた。ミネラルウォーターでの水分補給があるのが裕福な家庭の子が通う学校を象徴していると感じた。

図書室には担当の職員が2名配置されていたが、ラオス語に翻訳されている児童書がとても少ないと聞いた。野口英世など日本の偉人の本もあった。そんな中に「ラオス語版どらえもん」が目に飛び込んできた。以前に「フランス語版どらえもん」をテレビで見たことがあったが、「どらえもん」は、世界各地で愛されているようだ。

ラオスでは出版文化が未成熟のため、ラオス語に翻訳される書籍は多くないようだが、本を読むということがとても大切にされているのを感じた。人間は、母国語で思索を深める。読書は思索を深めるための重要な手段である。スニター・ピンマソンさんの例を引くまでもなく、深めた思索を仲間に向かって発信できれば人間は成長していけると感じた。

首都ビエンチャンの開発

ビエンチャンでは、中国資本による大型ショッピングモールの開発が進んでいた。隣地には、大規模遊園地が開園したが、ほとんど入場者はいなかった。また、その隣に大型コンドミニアムが7棟程、建設中であった。日本円で4000万円程度の値段がつけられているとのことであったが、買い手はいないらしい。

社会主義国なので土地の所有権は認められていないが、永続的な使用権は保障されるという。ショッピングセンターには人が多く入っていて、トイレもキレイで快適な空間となっていた。建設中のコンドミニアムもどこかに勝算があると判断して建てているのであろうから廃墟になることはないであろうと思いつつ、哈爾賓郊外に林立する入居者のいない高層マンションのことを思い出していた。

ラオスは、ベトナムの影響により1975年ラオス社会主義人民共和国を樹立した。公営市場は活気があり、人々はイキイキ暮らしているように見えた。ラオスの手織製品などはレベルの高いものは高値で取引されており、ルアンパバーンではフランス人のプロデュースする店舗もあった。社会主義計画経済は失敗したが、供給を国が決めるのではなく、マーケットに委ねるという考え方は=社会主義市場経済は機能していると感じた。

[i] 日本の自治体職員で組織された自治労が1996年から東南アジア3か国で開始した「自治労アジア子どもの家」事業からスタートし、ラオスでは、政府情報文化省と連携し、自治労撤退後は公益社団法人シャンティ国際ボランティア会が運営を引き継ぎ、現在は国の情報文化省の中央子ども文化センターが直接運営している図書館と児童館の機能をもつ施設。

[ii] 童話や民話をいったん覚え、身振りを交えお話をする児童文化の伝達の一手法。